人って見えている部分がすべてではない

知り合いが、何年か前にお子さんを亡くされていたことを最近知りました。
年に数回、会えば話をするくらいの関わりなので、なかなか立ち入った話が
できなかったこともありますが。
会話の中では変わらない印象しか受けていなかったので、子どもを亡くすという
壮絶な経験をされているなんて、想像もできませんでした。
子どもが先立ってしまうなんて、自分に置き換えてみるとどんなことよりも
辛いことのように思えます。
私たちは自分以外の人に、一部分しか見せていないものだということを、
あらためて考えました。
見た目で、「この人はこういう人だ」と無意識に決めつけ、その印象が当たることも
多いけれど、その時の印象を変えることなく人と付き合いを続けていくことがあります。
時間の経過ととともに誰もが何らかの経験を積み重ねていっているわけで、
その事に思いを致すこともあまりないように思います。
自尊心が傷つかないように、「人にどのように見られたいか」を考え、
「見せたい自分」を都度選びながら生きている面もあると思います。
他人に対してすべてをさらけ出して生きるのは勇気のいることだし、
円満な人間関係を続けたいと思えば、深刻な話題は意識的に避けたりもします。
「自分のすべてを分かってもらう」のはほぼ不可能で、
誰かが表面だけを見て誤解することもあれば、逆に自分が相手を
誤解していることもあるかもしれません。
相手の見えない部分を想像して、外側の印象に振り回されないことの大切さを
考えさせられた出来事でした。