すでに持っていると気づく

昔から服を買うのが大好きでした。

洋服だけじゃなく着物にハマったこともあり、着付け教室にも通ったし、

おしゃれをすることにやたらと労力をかけていました。

仕事などで忙しい時は、帰りに毎日何か新しい服を買い、

毎日新しい服を会社に着ていかないと気が済まないような時期もあり、

今振り返ってみるとどうかしていました。

買い物依存症であり、でもそれで何とか自分を保っていたように思います。

どうしてそんなに服を買っていたのか。

幼少期、私の服はほぼ全部母が手作りしていて、

自分で着たい服を着る機会はほぼなく、それが当たり前だと

思っていました。

自分で服を買うようになった高校生くらいの頃、私が選んだ服で

母が気に入らない物は、母自ら返品しに行っていました。

「センスが悪い」

「そんな服を買ってどこに着ていくの」

など、私が選んだものはほぼ返品交換される状況で、

大好きな母親に自分の選択を認められないのは辛いことでした。

母は自分の価値観が絶対に正しいと思っているような所があり、

家での生活や学校生活、職業の選択に至るまで自分の価値観に沿った

行動をとるよう、私に強いているように感じていました。

同じ女性として、娘である私には自分が果たせなかった夢を代わりに

実現してほしいと思っている様にも見えました。

頭の上に大きな石が乗せられているような重苦しい感覚の中で、

母に気に入られたくて、期待に応えられるようひたすら頑張る生活をしつつ、

自分の行きたい道は別にあるという思いがあり、葛藤する苦しい毎日でした。

洋服を選ぶという些細なことでも、母には褒められたかったし、

認められたかった。

どんなにセンスが悪い私でも、まるごと受け止めて欲しかったと思います。

服を買いまくっていた当時、一瞬のストレス発散にはなっていましたが、

買っても買っても満足することはありませんでした。

気持ちの根底にあったのは、

”母に自分のセンスを褒めてほしかった”

”ありのままの自分では心細いので服は鎧のように感じていた”

というようなものだったと思います。

服を買うのは相変わらず楽しいけれど、自分が欲しいと思う服は、

すでに持っていることが多いとある時気づきました。

”人は自分が思うより私が何を着ているかなんて気にしていない”

”母の許可がなくても自分の好きな服を着ていい”

”服を鎧にしなくても大丈夫”

よくよく考えると、服に限らずほとんどの物を、

私はすでに手に入れていることにも気づきました。

今ある物に目を向けて、感謝する毎日を送りたいと思います。