そんなに心配しなくても大丈夫

小さい頃から私は極度の「心配性」でした。
よく通る橋が落ちないか毎日父に尋ねたり
(父もよく呆れもせず毎日大丈夫だと言ってくれてたな)、
遠足とか運動会など普段とは違う
行動をしないといけない時は、うまくいくのかあれこれ考えて緊張したり、
社会人になると仕事の段取りを完璧にしてもそれでも足りないのではと考えたり。
気が休まる暇がなかった気がします。
子育て中もちょっとしたことで病院に行ったし、お友達とうまくやっていけるのか悩んだり、
少し大きくなって帰りが遅れれば「事故に遭ってないかしら」と不安になったり、
将来大丈夫なのかしら、と本人以上に心配したりしてきました。
今でも子どものことは心配だけど。
でも、最近思うんです。
「そんなに心配しなくても大丈夫だったな」
「心配する時間がもったいないこともあったな」って。
もちろん、心配していたからこそ防げたこともあるけれど、私が心配しても
現実が変わるわけでもなく、少し見方を変えてどっしりと構えられた瞬間も
あったのではと思います。
心配って、あくまでも”自分のこれまでの経験の延長線上”に存在する将来が
”これまでの経験から考える最善の結果になるといいな”と考えて、
そうならない場合を恐れていることなんじゃないかと
最近思います。
見慣れた結果は居心地がいいから。
でも”これまでの経験”を外してみると、経験してこなかった事は無限にあるし、
結果も無限にあるわけで。
過去に心配してきた出来事も、予想もしないような事態が起こって自分の思い描いたような
結果にならないこともたくさんあったし、自分でコントロールしようとしないで、
流れに身を任せてその場を楽しむ選択もあったかも、と思います。
心配することは悪くないけれど、今心配しなくても良いこともあるし、
心配に心が支配されすぎないように、今ここにある時間を楽しむことも
大事にしたい。
「そんなに心配しなくても大丈夫」
「これまでもちゃんと乗り越えて今生きているんだから」
そう思えるようになりました。