『猫を抱いて像と泳ぐ』小川洋子著

タイトルを見た時は、この本にどんな世界が広がっているのか
想像できなかったけれど。
唇がつながった状態で生まれた少年は、医師による手術で脚の皮膚の移植を受け
唇は開きますが、そこには脚の産毛が生えるなど人とは違った
自分の容姿に引け目を感じ、
周囲とのコミュニケーションを難しく感じるようになります。
デパートの屋上にいた象のインディラに会うのが幼い頃の楽しみでしたが、
その大きさ故に屋上から下へ降りるエレベーターに乗ることができず、
屋上で生涯を終えたインディラの悲しい運命を想像し、
”大きいことは悲劇”と思うようになります。
また、眠る時には壁と壁の間に挟まった『ミイラ』と名付けた想像上の少女と
会話をし、現実と想像の世界を行き来しながら成長していきます。
ある日、ふとしたきっかけで古いバスに住む『マスター』と呼ばれる
大柄の男性からチェスの手ほどきを受け始め、
盤下にもぐって次の一手を考えるという
独特のスタイルをとりながらチェスの腕を磨いていきます。
少年はチェスの奥深い世界に魅了されていき、マスターを
師と慕い、友達のようにも思い、楽しくかけがえのない日々を
過ごしますが、マスターの突然の死でそれは終わってしまいます。
バスの中で亡くなったマスターは大柄なため、重機でバスを壊さないと
搬出できず、それを見た少年は象のインディラの最期と重ね合わせ、
”大きくなるのは悲劇”という思いを確固たるものにしていきます。
その気持ちからか少年の体の成長は11歳で止まり、その後
からくり人形の中に入りチェスを指すようになります。
『盤下の詩人』『リトル・アリョーヒン』
(アリョーヒンは創造性豊かな棋風から「盤上の詩人」と呼ばれた選手)
と呼ばれるようになり、その棋譜は詩のように美しいものとして
称えられます。
少年がチェスを指す場所は、チェスクラブからチェス好きの高齢者が住む
老人ホームへと移りますが、その時々で少年の理解者が現れることに
救いを感じ、自分の運命を淡々と受け入れる少年や周囲の人々からは、
人間の強さを教えられます。
”大きくなること”を極端に恐れた少年でしたが、チェスという
限定された盤上世界の中に、無限の創造を見出す旅を続け、
とても大きな世界で生きたんじゃないかと思います。
読んでいると、チェスのコマを動かす音だけが聞こえるような
静謐な世界が広がり、深い余韻が残りました。