『男らしさ』の呪縛

自分は女性なので、女性の視点から生きづらさを考えることが多いですが、
男性は男性なりの生きづらさがあるように思います。
”強くなければならない”、
”人前で泣いてはいけない”、
”人に頼ってはいけない”
というような『男らしさ』を、意図的にも無意識的にも親から刷り込まれたり、
成長するにつれて”男性はこうあるべき”という
世の中の共通認識みたいなものにも気づいてきて、
”自分はどうありたいか”をあまり考える機会もなく、
親や世間が求める男性像に応えたい気持ちもあり、自分をその価値観の中に
押し込めて生きている人も少なくないように思えます。
女性が生きやすい世の中だとは思いませんが、例えば結婚して家庭を持つと、
”男性は家庭の大黒柱として稼がなければいけない、それが男の甲斐性”という
何となくの世間の理解の元で、妻が外で働く時間を少々少なくしても、
違和感なく許されるような雰囲気もあります。
男性でも大黒柱として寄りかかられる一方なのは苦しい時があるんじゃないかと
時々考えます。
仕事にやりがいがあっても、職場の人間関係が良好ではなくてストレスを抱えたり、
思ったように評価をしてもらえないような現実があったり、
”自分がやりたい事はこんなことじゃない”と考えたとしても、
自分に家族の生活がかかっていると思うと、
なかなか現状を変えるのは難しいこともあると思います。
今は共働き、夫婦で2馬力にならざるを得ないような状況でもありますが、
男性も、”本当はどう働きたいか”や、”本当はどういう風に生きたいのか”を
もっと考えても良いのではと思います。
従来の『男らしさ』の概念は、男性中心の社会システムを機能させていくうえでは、
便利な考え方だったと思えますが、女性の社会進出により、これまでのシステムを
維持しなくても良くなっている気がします。
妻が外で働き、家で家事や子育てを中心に
生活したい男性も潜在的にもっといるのかもしれないし、
もちろん女性の賃金が男性よりも低かったり、管理職として働くことの課題など
解決するべき問題はたくさんありそうですが、女性も男性も”その人らしく”生きていける
社会が良いな、と思います。