「魂の”つがい”」 映画『52ヘルツのクジラたち』

町田そのこさん原作の映画化。

”52ヘルツのクジラ”とは、他の仲間たちには聴こえない高い周波数で鳴く世界で1頭だけの

クジラのことだそうです。

傷を抱え、東京から海辺の街へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、

声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う。

かつて自分も同じような境遇だった彼女は、少年を放っておくことができず

一緒に暮らし始める。

自分の声なきSOSを聞き取り、悲惨な生活から救い出してくれた今はもう会えない安吾を

思いながら、安吾がしてくれたように自分も少年を救おうと、貴瑚は奔走する。

人との繋がりの中で家族は基本単位だと思いますが、家族だからといって

すべてを分かり合えるわけではなく、家族だからこそ言えないことがあったり、

自分の弱さを容赦なくぶつけたり、過剰に甘えたりということもあります。

「家族は呪いになることもある」「そこから逃げてもいい」という

セリフもありましたが、家族の濃密さが足枷になったり苦しい場合は

そこから離れる選択肢もあるわけで、家族だからと自分を犠牲にするのは

違うように思います。

誰かの犠牲のうえに成り立つ幸せはないから。

作品中、”魂のつがい”という言葉が何度も出てきます。

ソウルメイトとかツインソウルなどもよく聞く言葉ですが、

”魂の部分でつながりあえる人”は実際にいます。

言葉に出さなくても考えていることがわかったり、自分の本当の望みを自分よりも

知っているような人。

作品中の貴湖と安吾もそうだし、貴湖と少年、貴湖と親友の美晴も

”魂のつがい”に見えます。

貴湖、安吾、少年はそれぞれ、

誰にも聞こえない周波数でSOSを出しながら孤独に生きていたわけですが、

そのSOSに気づいてくれる誰かは、家族とか友人とかわかりやすく説明できる関係の人とは

限らないんだと教えてくれています。

人との出会いは必然で、”会える時には会える”と思っています。

今、自分を取り巻く人との関係を少し遠くから眺めて、

”今の関係だけが自分の人生を決めるわけではない”と考えることも

大切かもしれません。