心の底から恐怖を感じた NHKスペシャル『創られた“真実” ディープフェイクの時代』

ドキュメンタリーとドラマでディープフェイクの時代を

描き出した番組。

これまで生きてきた世界が足元からグラグラしているように感じて、

得体の知れない恐怖を感じました。

ドラマ部分では、ある日突然命を絶った妻の死の真相を

夫が明らかにしていく中で、死の直前、妻が参加していた

ビデオ会議そのものがディープフェイクであり、

企業情報を盗むために何者かが作ったニセモノであったことが

明らかになります。

Zoomなどのビデオ会議はすでに日常の一部になっていますが、

自分以外の参加者が本物かどうかなんて疑うこともありません。

ディープフェイクかどうかを解析できるソフトが存在するようですが、

エンドユーザーである私たちが使用する意識や機会は、

まだほとんどないように思います。

フェイクニュースの存在もたびたび耳にしますが、ネットに溢れる膨大な情報を

どこまで信用すれば良いのか、疑う根拠はどう持てば良いのか、

自分や身近な人の知識や教養、人生経験などで太刀打ちできるものなのか、

何だか訳のわからない未知の世界を生きていかないといけないと思うと、

心細い気がしてきました。

ドラマでは、ディープフェイクを使って亡くなった妻をネット上で

再現します。

夫は悩み事を相談したり、遺された娘は一緒にお菓子づくりをしたり、

生前と変わらないようなやりとりが展開されますが、

亡くなった悲しみを癒すためならば、ディープフェイクは許されるのか

という問題提起がなされています。

大切な人が亡くなった後、”もっと話したいことがたくさんあった”、

と思いながらもそれは叶わなくて、胸が引き裂かれるような悲しい気持ちを

抱えながらも自分の日常を生き、その中で悲しい気持ちを昇華し、

故人への思いを変化させながら自分の生活の一部にしていく、

というのがこれまでの人の死への向き合い方のように思います。

故人との時間が進むことはもうないのに、ディープフェイクは、

引き続き一緒に過ごす時間を与えてくれる。

亡くなったことへのケジメみたいなものがなかなかつけられない状態で、

遺された人間が生きていくことが、幸せなのかどうなのか、

ケジメはそもそもつけなくても良いものなのか、答えを出すのが難しい問題だと

感じました。

ディープフェイクかどうかを解析できるソフトについても、

AIは進化が凄まじいので、そのうち見分けがつかなくなる可能性もあるとのこと。

人間の倫理観がますます重要になるのだなと思います。