父の命日に思うこと

父が亡くなって21年経ちました。

これまで、”生きていたらこの事に対してどんな言葉を言っただろう”、と

思うことが度々ありました。

孫の成長を見られなかったことは残念に思っていることでしょう。

父とは長い期間離れて暮らしていましたが、たまたま私の帰省中で

実家にいる最終日、自宅に帰る準備を整え実家を出る直前、

「ドスン」という大きな音とともに父がキッチンで突然倒れ、

意識がないまま救急車で病院へ運ばれました。

一度意識が戻り、自宅に戻るという私の予定が台無しになってしまったことを

詫びていました。

”自分が大変な時にそんなこと言わなくてもいいのに”、と

少しあきれつつも、父の優しさを感じていました。

”意識も戻ってこのまま回復するんだろう”と、少し安心しながら実家に戻り、

父が帰ってきた時に横になれるよう布団の用意などしていたところ、

病院で付き添っていた母から、父が亡くなった知らせを受け取りました。

突然のことで何をどうしたら良いか、どう考えたら良いのか分からず、

信じられない現実にとても混乱しました。

父が生きているうちに話したいこと、一緒に行きたい場所などたくさん

あったのに、一瞬でそうした希望が無くなってしまいました。

”明日が来るのは当たり前のことじゃない”、という当たり前のことを

強く実感しました。

幼少期、父はひたすら私を甘やかして育てました。

欲しいものは何でも与えてくれたように思います。

そういう点では父を好きだったかもしれないけれど、子育てに対する

母との意見の相違は明らかで、両親の間で板挟みになっている感覚は

常にありました。

”浮気は男の甲斐性”みたいな古い価値観(都合の良い言い訳?)から、

父の女性問題で悩む母の姿も見てきたし、楽しいお出かけの出発間際、

のんびり屋の母の「支度が遅い」と、幾度となく怒り出す

短気な父の姿も目にしてきました。

自分のパートナーには父とは違うタイプの男性が良いと思ってきました。

優しかったり面倒見が良かったり、良い面もたくさんあった人でしたが、

自分が理想とする父親ではないと感じることもしばしばでした。

自分がかけてほしい言葉、やってほしい態度、自分の期待どおりに相手が

振る舞ってくれないとがっかりしてしまいますが、自分の親だし、父に対しては

期待が大きすぎたのかもしれません。

自分が思うような言葉や態度ではないけれど、私が期待した気持ちを、

父は自分なりの表現で表していたのかもしれない、という見方がもっと

できていれば、父との関係も違ったものになっていた気もします。

自分も歳を重ねてきて、伝えたい言葉、相手に聞きたいことがあるなら

”後で”と思わず、今この時を大切に、伝えていく必要があると痛感しています。