『ルイーズ・ブルジョワ展』見てきました

森美術館で1月19日まで開催ということで、ようやく時間が取れたので行ってきました。

間に合って良かった。

男児を強く望み、ブルジョワに対して”いらない娘”と言い続けた実の父、

その父に依存して生きる母の間で育ち、不安定な環境下で、生まれた意味や女性であることの

葛藤を抱えながら、家族との関係や母性、父との確執などをテーマに数々の作品を

生み出した芸術家。

針仕事を想像するような作品がいくつかあって、時代的に

”女性はお裁縫ができないといけない”とか、

固定的な役割分業を強く期待される中で生きる苦しみが表現されているのかも、と

思ったり。

どの作品も力強く、目を逸らしてしまいたいような人間の生々しい部分を

見せつけられているようで、少し重苦しさを感じると同時に、

人間の無意識の部分を表現できるのってとてつもない才能だと

尊敬の念を抱き。

人生に真面目すぎるほど真面目に向き合った人なのか、という印象も持ちました。

”良い母”でありたいという強い気持ちも伝わってくるような。

こちらは『わたしの青空』という作品。

青空が広がっているのに曇りガラスで隠れている部分もあり、見えるのは半分だけ。

手前の風景は生きることのモヤモヤ感を表現しているのかしら。

授乳をモチーフにした作品。

母乳は血液を原料としているから赤い作品なのかと思ったり。

母乳を与えるのって原始的な行動、授乳しながら、”人間って動物なのだよな”と

妙に実感したことを思い出しました。

この作品のタイトルは『荷を担う女』。

娘、妻、母親という複数の役割をこなしていたブルジョワ自身を表している、と

説明文にはあったけれど、仕事帰りに夕飯の買い物をし、荷物を何個もぶら下げている

自分みたい、と思うととても身近に感じる作品。

ある作品の説明書きに、

”ブルジョワは男性らしさと女性らしさを撹乱することで、性にまつわる安易な解釈を拒みます。

「誰もが傷つきやすく、また誰もが男/女でもある」”

という一節がありましたが。

誰もが男性性・女性性の両方を持っていると思うのですが、そのバランスをとりつつ、

男性も女性も自分らしく生きられる社会を望んでいる、というブルジョワの

メッセージのように思えました。

男性に恐れを抱きつつ女性としての生きづらさを感じながらも、

三人の息子を育てることにより、男性にも弱い部分や情けない部分があるのだと

身を持って知り、男性も女性も同じ人間という視点に立った考えを持つに至ったのかな、

なんて想像しました。

”芸術は正気を保証する”、

”「攻撃」しないと、生きている気がしない”、など

所々に展示されているブルジョワ語録も、彼女という人への理解が深まる感じがして、

興味深かった。

全てがエネルギッシュな展示でした。