AIが台頭する中の人間の可能性『魔女と過ごした七日間』(東野圭吾 著)

久しぶりに東野さんの作品を読みました。

本小説は、AIによる監視システムが強化された近未来の日本が舞台。

中学3年生の月沢陸真は、常識では説明がつかないような不思議な能力を持つ女性、

円華と出会う。

陸真の父克司は元刑事で見当たり捜査のスペシャリストだったが、現在は警備会社で

働いていた。

ある日突然その父が亡くなり、父親の死の真相を円華と一緒に究明していくことになる。

物語の根底にあるのは、人間 VS AIの世界。

克司の前職である見当たり捜査員は、指名手配犯の顔写真を頭に叩き込み、

加齢や生活習慣、その他の要因による相貌の変化もその写真に加えながら現在の姿を

想像し、犯人検挙につなげていく仕事ですが、街中至る所に設置されているカメラと

それらを瞬時に分析するAIにその職を奪われています。

しかし、AIが捕捉できなかった犯人に克司が目をつけるなどAIが万能ではないことを

示したりします。

一方円華は、雨が降る時刻を分単位で予想できたり、閉まりかけたエレベーターに乗るために、

エレベータードアにボールが挟まるよう正確無比なコントロールで投げ込めたり、

自身を”魔女”と呼ぶこともあるように、随所で不思議な能力を発揮していきます。

他にも一度見た光景は写真のように頭に残り、完璧に再現ができるなど、

様々な能力を持つギフテッドの子供たちも登場します。

人間を上回る知性が登場するかというシンギュラリティの仮説もあり、

AIの進化ばかりに目が向きがちですが、

”人には無限の可能性がある、君の限界を決めるのは君じゃない”。

”すべての出来事を自分の理解できる範囲に収めてしまおうとするのは強引だし傲慢”。

”そんな狭小な世界観から解き放たれた時、人間は初めて次のステージに一歩踏み出せる”

という円華の言葉を読むと、あらためて人間の可能性について考えることも

大切なのだと思いました。

ほぼ無断で採取したDNAや、IDカードにより国民を管理しようとする

国家の姿も描かれていますが、国家権力と戦う一面もあるこの物語の最後に、

”困難にぶち当たった時には、自分で考え、道を切り拓かねばならない、

頼るのはAIではなく自分の頭だ”

というセリフがあり、AIと共存する世界で生きるうえで、指針となるような言葉だと

感じました。